プロニートの履歴書

色んなできごとに翻弄され、プロのニートになるまでの物語

4. 天国への階段のワンステップ

私が働くことになった楽器屋さんには、ここぞとばかりに音楽好きが集まっていた。店長から売り場の人間まで、それぞれが楽器が弾けたり、得意な楽器の知識も経験もある人たちが集められていた。

私はやっと仲間に会えたのだ。

 

ところで、私は3歳の頃から楽器を習っていた。ひとつはピアノで、小学生の頃には学校の楽団でフルートを演奏してたのだ。高校生になった頃にはバンドをはじめ、バンドの衣装を作ったこともあって、進学先をファッションデザインに決めたのだった。

 

 

(もうひとつその学校を選んだ理由もある。それは、うちの高校から推薦で入れる学校で入試に英語がないのはその学校だけだったのだ。私は英語だけはどんな手を使っても避けて生きてきたのだ。まったくといっていいほど英語が理解できず、私の英語力は中学の時に習った現在完了形で終わったままだったのだ。よく高校を卒業できたもんだと思う。これは後に私の人生を大きく変えることになるのだけど、ひとまず置いといて)

 

 

そんなわけで、私にも多少なりとも音楽と楽器の知識はあったのだ。

 

そして、初日の楽器屋さんのレジで、ケイスケの友達である荒木という女の子に出会った。荒木はすでにケイスケから私の話を聞いていたようで、これから一緒にバンドをやることになった私を見て、ひどく調子っぱずれな顔をしていた。私も私で同じ顔をしていたのかもしれない。

縁といえばそうなのかもしれないけど、そんな出会い意味がわからない…。2人とも売り場でそんな風に思っていた。

 

 

しかし、仕事は仕事である。

楽器というのは大きな買い物で、ほとんどの人は憧れや夢を抱いて楽器を買いに来る。そこのスタジオに入れば、ライブなりオーデションなり、彼らにとっては小さな階段のワンステップを今まさに登ろうとしている人たちしか来ないのだ。

 

親連れでギターが欲しいという中高生が来ると、「最初に買うのはどれがいいですか?」などと聞いてくる。それを私に聞くのだ。これはもうちゃんと答えてあげなければならない。彼らにとっては私は楽器屋さんの人で、楽器のことに詳しい人に見えているのだ。

私は自分がバンドをやっていた時のギターの友人や、身近にいたプロのミュージシャンの言葉を思い出しつつ、持っているフルの知識を使って、「ギターは見た目です。好きなものを選んでください。テンション上がらないと、そもそも弾く気になりませんから」と、それっぽいようで、全然楽器屋さんとしてのアドバイスになっていない意見でなんとかギターやベースを売りさばいていった。

注文を聞くにしても、「テレタスのナージヘッドありますか?」と聞かれたような気がして、ギター売り場にそのまま伝えると、テレキャスのラージヘッドだったりと、そもそも知ってる専門用語の数が足りないのだった。

 

 

まぁいい。そんなことはいい。

そんなことよりも、私が楽器屋さんで働いて目を奪われていたのは、売り場の片隅にあるMacintoshだった。この頃はパソコンで音楽を作ることが一般的な時代ではなく、スタジオで使われているようなもので、システムを組むのに1台100万と言われていたものが、やっと一般でも買えるぐらいの価格になってきていたのだ。私はあのMacintoshが今買えるところにまで来ている…とわくわくしたのだった。

 

そうして毎日憧れのMacintoshを眺めている私に、店長は優しく「社販で買っていいよ」と誘惑するのだった。私のそこでのアルバイト代は月額で12万円ほどで、一般の人が買える値段といってもソフトウェアも含めて、社販でも30万円を超えていた。

 

 

そこで私は考えた。ここはひとつ親に買ってもらうしかない…と。

私は以前もこの方法で高額な楽器を買ってもらっている。その時は「大学生になっても車の免許代はいらないから、今この楽器を買ってくれ!」と泣き落としたものだった。

今回は「これからの時代はパソコンだよ!今だと社販だと安く買えるからさ」と親を説得して、またも無理に買ってもらったのだった。そしてその後、時代は本当にパソコンの時代になったのだけど、パソコンが一般的になったのは、それから10年後のことだった。まだパソコンの画面が白黒だった時代の話である。

 

 

そうして、私の音楽生活は本当の意味ではじまった。

バンド活動に興味があったかといえば、実はほとんどなくて、メンバーには申し訳ないのだけど、バンドは私の長い音楽人生において、これは長い天国への階段のワンステップだと思っていた。なぜなら、バンドの方向性はロックで、「バンドやろうぜ!ライブやろうぜ!」なメンバーらで、私はMacintoshに憧れるほど、はじめから電子な人だったのだ。よくあるバンド解散の理由に「音楽性の違いで」というのがあるけど、それは本当にあるのだった。

 

それに、バンドにはすでにギターもボーカルもベースもいて、残るはドラムのみだった。ドラムをやったことのなかった私は、こんな…こんな面倒なこと機械にやらせたらいい!と、もっと面倒そうなMacintoshで打ち込みをはじめたのだった。これは最初はなかなかの苦労の連続だった。今のようにパソコンの電源を入れたら立ち上がるというしろものではなく、システムから構築しないと使うことすら難しい時代だったのだ。

 

 

そうやって、楽器屋さんでのバイトとバンドをはじめて1ヶ月が経った頃、なぜだか私は妙な不安にかられるようになった。理由はない。どういうわけか急に就職したい、と思うようになっていたのだ。

 

 

卒業してまだ半年、私はまだどこにでも就職できると思っていたのだった。