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プロニートの履歴書

色んなできごとに翻弄され、プロのニートになるまでの物語

6. 風俗の世界から世界に飛ぶ

せっかく就職したアパレルの会社を辞めて、私は春先の自由を謳歌していた。自由、自由というのが何かもわからないままに日々だけが過ぎた。

そして、その自由は3ヶ月過ぎた頃にあっけなく終わりを告げた。

またしてもお金がないのだ。私には生活するお金がなくなっていたのだ。

 

私はこの気分を知っていた。

それはちょうど1年前に味わった気分と同じで、何もしなければ何も生まれないのだった。

 

人生2度目のピンチである。

 

 

またまた慌てた私は、今度は手当たり次第にバイトをはじめることにした。

知り合いの居酒屋で人を募集しているというので、そこでバイトをし始めたはいいのだけど、お客さんがこなければバイトは帰されてしまうので、これだけでは人ひとりが生活するには足りない収入にしかならないのだった。

 

もう絶望的な気持ちになった私は、腹をくくって夜の街に出ることにした。どこかで「お金に困ったら夜働けばいい」と聞いたことがあったからだ。つまり、水商売で働こうと思ったのだ。

お酒を飲んだり、注いだりすることが仕事、というのがよくわからなかったけれど、私の住む街には大きな歓楽街があった。そこに行けばなんとかなるような気がしたのだった。

その中で私が選んだのはランパブだった。ランジェリー姿でお酒を飲んだり踊ったりするあれです。ただ普通にお酒を飲むよりも、同じ飲むなら下着姿の方が気が楽なような気がしたのだ。

 

そうして、その面接の帰り道に違う店からのスカウトを受けることになる。私は面接に行くために色気のある服装をしていたので、道を歩いていて目に付いたのだと思う。

そのスカウトマンに喫茶店に連れて行かれ、よくよく話を聞いてみると、それはどうやら風俗業のようで、彼は口には出さず、「これぐらいもらえることになります」と手元の紙に金額を書いて見せた。

もちろん、それは私を驚かせるには十分な額だったのである。

 

 

しかしですね、ものの数分前に私はランパブの仕事をもらっているわけで、どうやったら両立できるのかと考えた。そして、居酒屋のバイトもある。

その風俗で働くことに抵抗がなかったのかといえば、その時に私には何もなかった。それがどういうものかもよくわかっていなかったし、ランジェリーで働くのも風俗で働くもの同じようなものだと思っていたのだった。

 

 

私は考えた末に、朝10時から風俗で働き、夕方からはランパブと居酒屋のバイトを交代にローテーションを組むことにした。合間にはバンドの練習もあったので、私の1週間は眠る時間もないぐらいにぎっしり埋まっていった。

 

そして、私はがむしゃらに働くことになった。

何も考えるひまはなかった。4足のわらじを履いて走り続け、わけがわからないほど忙しかった。寝てもさめても仕事なのである。世間は夏休みに入って風俗業は忙しさを極め、お盆などはたった5日間で30万を超える給料をもらったりもした。

そんな生活であっという間に3ヶ月が経った頃、ふと何気なく自分の銀行口座をみると、数ヶ月前まで一文無しだった私の預金額が軽く100万円を超えていたのだ。

 

100万もあったら…、何か出来るんじゃないの??と思った私は、その生活をもう少し続けてみることにした。何か新しいことができるような気がしたからだった。

 

 

 

 

ここで少し風俗の世界について書いてみたいと思う。

 

私のいた店はその繁華街一体を占めるような大きいチェーン店のようなもので、所属している女の子の数は100名を超えていたと思う。学生が気楽にバイトをしているような店ではあったものの、そこには今まで出会ったことのない種類の女の子も沢山いた。

 

ほとんどの場合は、手にする額におかしくなっていくのか、はぶりのいい生活を始めたり、性に目覚めていく女の子や、はたまた整形にお金をつぎ込む人や、お客さんに騙されてお金を持ち逃げされる人までもいた。騙されて可哀想と思うよりも、そういう女の子は入ってきた時からずいぶん印象が変わって、見当違いな自信をつけた上に欲にかられて超感じ悪くなってきているので、周りの女の子らも嫌厭されるようになってしまっているのだ。あれだったら騙されても当然だと思うほどに・・・。

そこは色んな人が色んな形で壊れていく世界だった。

 

 

そうして、私の金銭感覚も少しおかしくなっていった。

お金が使えないのである。自分が普通のお金の稼ぎ方をしているとは思えないので、もらったお金が使えないのだ。かといって、大きな買い物はできない代わりに、コンビニで3千円ほど使う分には気兼ねしないようにもなっていた。

そして、自分が普通ではないと思っているので、電車に乗れなくなってしまったのだ。私は日中に人目のある場所にいられなくなっていたのだ。

移動はすべてタクシーになり、「お釣りはいらない」と言うのが習慣になっていた。これはもちろん若い娘が言う台詞ではないので、運転手に怒られたりもした。

 

 

それに、風俗で働くというのは、妙に人に好かれる仕事でもあった。

これは申し訳ないのだけど、女の子たちは仕事でやっているのだ。それもほとんどお金のためにやっているのであって、お客さんが男性にも見えていない。ひとりあたりいくら?ぐらいにしか見えなくなっているのだった。

告白されても、プレゼントをもらっても、プロポーズされても、「あの…、絶対勘違いだと思います」と答えるしかないのだった。私は夢も希望もない返事をすることにしていたのだけど、もちろん仕事上手な人はそれを引っ張って顧客にしていくのだと思います。

そして、そういう女の子たちがお店でナンバーワン、ナンバーツーと続き、その中から性に合っていてプロフェッショナルになっていく女の子たちも生まれていくのだった。そして、そういう女の子たちは総じて不幸な身の上の人か、相当な変わりものだった。

 

 

 

そんな時間が何ヶ月が経ち、預金額が300を越える頃になると、私は新しい目標を持っていた。これだけあればどんなことも出来る気がしたのだった。そして、私はずっと夢だった外国暮らしをしてみることにした。

 

 

向かう先はニューヨーク。

ずっと憧れていた街だった。

 

 

ただ住むといっても言葉がわからないので、まずは語学留学をしてみることにした。旅行代理店のテーブルに英語学校のパンフレットが置いてあったからだ。私は学生時代に英語が出来なかったことがどうしても心残りだったのだ。私は英語の授業にはついていけなかったのだけど、話していることだけは不思議とわかる能力があった。その不思議がどこにあるのかも知りたいと思っていた。

 

春になって意を決して、旅行代理店に申し込みに行き、飛行機代と学費の総額を現金で80万円払おうとすると、手が震えてお金を数えれることができなかった。

見慣れていた大金でも、それを自分で作って、実際に外国に行くのかと思うと手が震えて数が数えられなくなっていたのだ。私が代理店の人にお金を数えてくれるように頼むと、お店の人は手慣れた様子で金額を確かめ、それは間違いなく受領されることになった。

 

 

あとは、何も話していなかった家族へ電話をすることにして、

 

「お母さん、私引っ越すことにしたから」

 

と電話口で言うと、いつも私の帰郷を心待ちにしていた母は、「どうしたの?帰ってくる気になったの?」と、うきうきした様子でたずねるので、私はこう言うしかなかった。

 

「外国に住むことにしたの。ニューヨーク。もう学費とか払ったから来月から行ってくるね。荷物は全部実家に送ることにするから」

 

私がそう言うと、母は怒って「そんなのお母さん反対する時間ないじゃないの!」と言う。そうなのだ。当たり前に反対されると思っていたので、私はギリギリまで何も伝えなかったのだ。親不孝だと思う。でも、そういう日が私にもやって来たのだ。

 

 

 

そうして、荷物をまとめ、引っ越しの準備が終わって、最後にバンド仲間に電話をしようと思っていたのだけど、荷造り途中に携帯電話をトイレに落としてしまい、すべての連絡先が吹っ飛んでしまった。

 

どうしようかと迷ったけれど、もう連絡するすべがない。

私はそこでお世話になった人たち誰にも連絡することなく、そのままひとりニューヨークへと飛び立った。