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プロニートの履歴書

色んなできごとに翻弄され、プロのニートになるまでの物語

9. ニューヨークに飛行機が飛び込んだ日

五反田を離れた私は都内の緑に囲まれたエリアに部屋を借り、一人暮らしをはじめた。

仕事を見つけるにしても、私にできることは、インターネット、簡単なデザイン、そして英語だった。そして、その3つの語句で検索をかけると、求人サイトの中によく知っている会社名を見つけたのだった。

それは私がニューヨークで最初に通っていた語学学校だった。 世界数十カ国に学校を持つそのグループは日本にも支社があったのだ。その名前が懐かしく、私は応募してみることにした。簡単なウェブデザインを含むアシスタントのアルバイトを募集をしていたのだ。

面接に行ってみると、いかにも帰国子女という柔らかい感じの人たちが、わずか8人でデスクを構えていた。外国の空気がまとわりつく心地のいいところだった。

 

仕事は簡単なもので、名簿の整理や作成などや製品を発送したり、ほとんど雑務なので頼まれたことをちょこちょこと手伝うだけの本当にアシスタント的な仕事だった。

ちょっとだけ困ったのは、私はこれまで会社勤めというのをしたことがなかったので、何を着ていっていいのかわからないことだった。しかし、みんな大人だったのだ。育ちのいい大人と働くほどいい環境はない。私のセンスを気に入ってくれた営業の女性などは、「うん、そういう人いるのよね。資生堂とかちょっと変わった仕事をしてるところにはいるのよ」という。この女性は元気なおばちゃんで、この人はどんなところででも、どんなものでもササッと売り込んでいっちゃうんだろうな、と思わせる力強さを備えたやり手の営業マンだった。私はどこに行ってもなぜかこういう人に好かれるのだった。

 

 

ある日、仕事から帰ってテレビをつけると夜のニュースをやっていた。はじまったばかりのニュースの画面には、”Second Airplane Crashed(2機目の飛行機が飛び込んだ)"とまるで誰も何も把握していない現地のライブ映像が映し出されていた。それは建物の不自然なところから煙幕のあがるニューヨークのツインタワーで、9.11事件が起こった瞬間だった。

私の大好きなあのツインタワーに何があったのか、私は一晩中ニュースの画面を眺めていた。これは大変なことになった・・・、明日は仕事休みになるんじゃないかなぁ…と、災害が起こった次の日の学校の心配をするような気分になった。

 

翌日、予想に反して職場は静かだった。私も通っていたニューヨーク校とアメリカにある学校への入学キャンセルは相次いだものの、東京の日本支社に影響がでるほどではなかったのだ。

それでも、職場の人たちも世界中も、その日は不安な1日だった。

 

 (私はこれから数年後、ニューヨークを訪れることになるのだけど、グラウンド・ゼロ以外は何も変わらず、いつもの忙しいニューヨークだった。こんな穏やかな街にあの日飛行機が飛び込んできたことが信じられなかった。それがどんな混乱だったのかを考えてみても、私にはうまく想像することができなかった)

 

その後、ハーフのアシスタントがひとり増えたりしたのだが、ある日正社員が雇われ、私たちアシスタントのアルバイトは突然前触れもなく終了した。

 

 

 

それからは半年ほど、何もせずうだうだしていたら、急に一人旅がしたくなった。私はそれまで旅行に興味がなく、友達が行くというので一緒に行く、という旅行しかしたことがなかったのだ。

一人旅をしたいと思ったのは、これがはじめてのことだった。

 

そうして、東南アジアからインドまでバックパッカーのような旅した。透明な町、カンボジアアンコールワットのことは今も忘れない。

私はこの旅で、それまでなんとなくしか話せていなかった英語がはじめて自分のものになった。私はそれまで自分はあまり英語が話せないと思っていたのだ。でも、それは学生時代からの強い思い込みで、ただの苦手意識だけだったのだ。それが旅の途中にどこかへと消えていった。自信、それは私が今まで持っていないものだった。

アジアを旅するというのは欧米で暮らすのとはまったく違って、自分の中にアジアの血を感じる。私はアジアの国々ではお客さんではなかった。

 

私は生まれた時からアジアの日本人だったのだ。

どれだけアメリカに住んでいても、自分がアジア人だと感じたことはなかった。日本はアジアの一国なのだ。

そうして、私の心はやっと日本に帰ってきた。