プロニートの履歴書

色んなできごとに翻弄され、プロのニートになるまでの物語

15. 始発電車で海の方へ

大失敗したアパレルブランドを後にした私は、販売の仕事を続けることにした。

どうせなら好きなものを売る仕事にしようと、当時ガーデニングにはまっていた私は花屋さんを選ぶことにした。植物に囲まれて働くもの悪くないな、と思ったからだ。

 

 そうして、最終的にたどり着いたのは、羽田空港近くの花屋さんだった。

通勤時間1時間半である。その時は本気で花屋さんで働いて、将来的には花屋さんになって植物を育てたり、その知識をつけようと思っていたのだから、花屋さんが人を募集していると聞けば、手当たり次第にどんな遠くでも行ったのだ。

 

おもしろいもので、どこの花屋さんの面接でも「ゴールデンウィークはフルで働けますか?」と聞かれるのだ。もちろん「はい」と答えるのだけど、どうやら花屋さんの繁忙期は母の日で、母の日までの1ヶ月間はとにかく休む間もないらしいのだ。「とにかく忙しいけど大丈夫ですか?」ということらしい。私は花屋さんは癒し系的な仕事だと思っていたのだけど、その話を聞いてたいぶ現実を感じた。

 

 

さて、そこは花屋さんといえば花屋さんなのだけれども、店舗ではなく国内で一番大きな園芸会社で、羽田空港の近くには都内の店舗に送るための下準備をするような場所があったのだ。海を越えて運ばれてきた花や植物を小売単位に振り分ける、という『卸し』のようなもので、仕事内容は大量の花を水切りし、花束単位に分ける仕事、ということになる。私はそこでしばらく修行のようなものをして、いつかは店舗に異動することを夢見ていたのだけど、今考えると、近所のおばちゃんたちが午前中にちょこちょこっとパートする感じのもので、時給750円だったことを考えると、その時の私の花屋さんに対する本気度がうかがえる。

 

 

仕事は朝7時からなので、朝は5時に起き、暗いうちに朝食を作って食べる生活がはじまった。

私はこの仕事をするまで朝ごはんを食べる習慣がなかったのだけど、ガラガラの始発で1時間半揺られ、そして、午前中が勝負なので7時から12時まで休み時間がないのだ。朝起きてから7時間後のお昼では持たない…と思った私は朝ごはんを食べる生活にシフトし、「これはどえらい健康的な生活だ!」と思っていたのでした。

 

 

実際、そこは花屋さんなので体力さえあれば、そこそこ健康的な生活で(かといって、パートのようなものなので、何をがんばるというわけでもないのだけど)、お昼休みには京浜運河を眺めながら河原を散歩したり、競馬場の馬をみたり、そこは工業地帯とは思えないほどのんびりした毎日だった。

午後は午後で作業は終わっているので、のんびりと社内の人と話をしたり、雑用を任されたりと、なんというか、朝早いことをのぞけば、”ゆるい”職場ではありました。 

 

 

そんな生活を送っていたにも関わらず、あっという間に私は花屋さんを去ることになった。体調を壊したのだ。病院に行くとしばらく安静にして、立ち仕事などのハードな仕事はやらないください。と医者は言う。そうして、そのまま2〜3日入院することになってしまったのである。

 

信じられないことに、そこまでわずか2週間。

まったくよくわからないけど、これまでそんな健康的な生活をしたことなかった私には、生活スタイルそのものが合っていなかったのかもしれない。

 

そうして、私の花屋さんの夢は、一瞬で散り去った・・・。

 

花屋さんには事情を話して、お気に入りのジャケットも買ったばかりの切りバサミもロッカーに置いたまま花屋さんに戻ることはなかった。

きっと向こうは根をあげて辞めたと思ったかもしれない。春でいい陽気に助けられていたものの、結構大変な仕事ではあったと思います。

 

 

  

病院から帰ってきて、家でやれやれ…と一息ついていると、突然家の電話が鳴った。

昔のバイト先のカメラマン有田君である。

 

「音楽作れる人探してるんだけど、今仕事何してるの?」と。

 

 私は「色々あって、今ちょうど仕事を辞めたばかりで…」というしかなかった。