プロニートの履歴書

色んなできごとに翻弄され、プロのニートになるまでの物語

16. 音楽産業界と青天の霹靂

有田君の紹介する音楽を作る仕事というのは、着メロを作る仕事であった。あの携帯電話で鳴らす着信音だ。

その頃は携帯電話の普及がだいぶ進んでいて、着メロが1億円産業と言われていた時代でもあった。そして、着メロを作る仕事というのは、音楽を志す人なら誰しも、そしてプロのミュージシャンですらも、猫もしゃくしも着メロに手を出す時代というのがあったのだ。

 

私にもやっと音楽の仕事をやるチャンスがやってきたようだった。

有田君の周りには音楽を作れる人が他にもいたようで、私を含めて3人の若い音楽好きが集められた。どうして3人かというと、それぞれがドコモ、ソフトバンクauの担当者になるための3人が必要だったのだ。

 

 

そこの経営者は独特の手腕を持っていて、時代の流れに乗っては手を変え品を変え、腕時計ブームが来るとその足でドバイに飛び、大量に時計を仕入れて売りさばいたりもしたらしい。目ざとくお金になるものにイチ早く目をつけて実行する、そんなタイプの人だった。

もともと有名なロックバンドのローディーだった彼は、そのカリスマ性のあるバンドのメンバーから仕事の相談をされ、彼のために着メロ制作会社を作り、それまでの事業をひと回り大きくするために、自分の制作会社を大手カラオケ会社の着メロ部門にそのまま送り込むつもりでいたのだった。

 

彼はいつもビッグチャンスを狙っていた。そして、言葉たくみにどんどん人を引き入れていく才能も持っていた。

なので、世間知らずの私たち3人にも、「これができたら、これこれこうなるはずだから、これぐらいの給料を払うつもりでいる。3人とも頑張ってやって欲しい」と励ますのだった。私たち3人はそれぞれがまだまだ音楽に夢を見ている若者たちだったのだ。

 

私たちはさっそく大手カラオケ会社に送り込まれ、これまた若い音楽好きが集められている着メロ部に身を置くことになった。彼らは音楽が好きではあるのだけど、音楽を作る知識と経験はなかったのだ。それでは制作会社との交渉に支障がでるので、着メロが作れる程度のスキルがあった私たちが集められたのだ。

 

そういうわけで、私たちの仕事は彼ら好き嫌い的な音の判断を、スキル的に、そして知識的に補佐することが仕事の内容だった。

私はひとり女だったということもあって、一番仕事量の少ないキャリアの担当となった。これは発売されていた端末数が少なかったという意味でもある。それでも机の上に端末をずらっと並べてみると、なかなか壮観な光景だった。

他の担当者よりも時間があった私は、空いている時間を他の制作会社の音楽ファイルを検証することに使った。ファイルの中身をみれば、どんな方法でどんな音作りをしているのかがわかるので、それは私にとって宝の山だった。

 

そうするうちに自分の会社が作るものがどれぐらいのものなのかわかるようになってしまったのだけど、それは社長も気がついていたようで、問題がどこにあるかを探るために、そして、それを自分の会社の制作に伝えることも私たちの仕事であった。これはちょっとした企業努力という名のスパイのようなものだったのかもしれない。

 

 

会社と立場に差があっても音楽好きで結ばれていた和気あいあいとしたの職場にもある日変化が訪れた。

私たちの他にも新しいバイトが雇われはじめ、社長が私に異動を持ちかけてきたのだった。カラオケ会社への出向から制作部で働かないかというのだ。これまで出向先でその傾向と対策を身につけた私に制作に加わってクオリティを上げる意見をするように、というのだった。

 

私もこれには両手をあげて喜び、快く異動を引き受けた。出向先での検証作業よりもひたすら音楽を作る方が楽しいと思っていたのだ。

 

 

そう、その異動の3日前まではそう思っていた。

 

 

私はそんな大切な日の3日前に1通のメールを受け取った。

付き合っていた彼氏からだった。彼はメールで「ごめん。僕、来月結婚するんだ」と言ってきたのだった。付き合っていた彼氏が結婚するというのがどういうことかというと、それは私ではない別の人と結婚するという意味だったのだ。

 

 

私の中ですべてがひっくり返った。

目の前が何も見えなくなって、何も聞こえなくなった。

 

それはまさに晴天の霹靂。

何が起きているのかまったくわからなかった。

 

 

 

そうして、私はデジタルになりたいと思った。デジタルになれば、0と1だけの世界で何も感じないものになれるんじゃないかと思った。

 

 

それから制作部に移ったものの、仕切られた60cmのデスクでの視界以上に私の視界には何も映らなくなっていた。何も聞こえなかったし、聞こえたとしてもそれはずいぶんひどい音だった。

 

音のいい悪いの判断さえもわからない。

いきなり出向先からやってきた(そして暗い闇夜にいた)私の意見は、制作部の人たちにはあまり心地よいものではなかったらしく、なかなか一筋縄ではいかないスタートであった。

それに思っていたよりも仕事はタイトだったのだ。膨大な数のファイルを決められた時間内にきっちり作らなくてはならなかった。今までやっていた人でさえも、在宅から場所を変えたことによって、毎週の納品日に間に合うか間に合わないかぐらいのスケジュール感に変わってしまっていたのだ。それに加え、社長のモットーは「残業するやつは仕事のできないやつ」だったので、全員が夕方6時には絶対に職場を出なければならなかったのだ。

 

どれだけ忙しくても、私の中の闇は消えず、毎日泣きながら家に帰った。雨の日も、風の日も勝手に涙が流れてきて止められなかった。これは仕事のせいではなく、もちろん失恋のせいで、毎日ずいぶん青い顔をしていたと思う。

 

 

そうして、何も目に映らず、何も聞こえない3ヶ月が過ぎた頃、私はチーフに呼ばれることになった。「空野さん、ちょっとお昼でも行こうか」といって歩いていく彼の背中を見ただけで、それがどんなことを意味しているのか私にもわかった。

私は彼にそんなことを言わせなければならなくなってしまったことを申し訳なく思った。彼のせいではないのだ。

 

彼はお昼を食べながら、私にこう言った。彼はもともとサラリーマンで音楽とは縁もゆかりもない人だった。仕事を辞めたところを社長に拾われて制作の仕事をやっているのだという。

 

「俺ね、この間カラオケの制作現場を見に行ったんだ。そして思ったよ。着メロ制作は音楽じゃない。最低でもカラオケが音楽制作だと思ったよ」

 

それは私も本当にその通りだと思った。

 

そうして、彼はとても言いにくそうに、私にその音楽ではない制作を辞めるようにと告げたのだった。