プロニートの履歴書

色んなできごとに翻弄され、プロのニートになるまでの物語

19. 音楽の仕事をするということ

さて、私が着メロを作っていた頃は、まがいなりにも毎日音に触れる生活ではあった。けれども、コンテンツを作り出してからは、まったく音楽から遠のいていた。それもそのはずで、私は世に言うキャリアアップをやっていたのだから。

キャリアは自分の目指す方向に向けるべきなのでは?と思った私は、自分の身をもっと音楽に近づけようと音楽業界で働くことにした。
しかし、私は音楽業界のことをまるで何もわかっていなかったのだ。

 

面接に行ったのは都心の雑居ビルの中にある小さな小さなレーベルで、営業兼A&Rを募集していたのだった。社長と事務員の2人は私の経歴書を見て、私に「本当にこの給料でやっていけますか?」と、念を押すように何度も尋ねた。そう、そこでの給与は私が今までやってきたものよりはだいぶ低かったのだ。しかし、私は音楽業界で働くというのはそういうことだと覚悟してきていた。

 

そうして、私の営業兼A&Rの日々がはじまった。

具体的な仕事は、毎月リリースされるアルバムを都内から関西にあるCD店に持って行き、「よろしくお願いします」とご挨拶に行くことと、アーティストと一緒にプロモーションのライブやラジオ局、新聞社でのインタビューについて回ることだった。

 

私はほどんどの毎日、都内近郊の大きなCD屋さん巡りをすることになった。東京、千葉、埼玉、神奈川、そして、名古屋、大阪、京都まで売り場の担当者に会いに行き、10分ほど立ち話をして、音楽の趣味が合えばずいぶん長く話をさせてもらった。彼らは自分の店の客層や背景、店舗の売り上げの衰退までを私に教えてるようにもなっていった。そうするうちに、自分のレーベルの評判も耳にするようになってきた。私の働いているレーベルとその経営者は、店舗間では独特なレーベルに見えていたらしいのだった。

 

 

それとは別に、職場の近くには大手レコード会社もあって、ランチを食べていると隣の席からはそので働く人たちの会話も聞こえてくることがあった。彼らの会話は私にとっても業界にとっても耳の痛い話や悪口だった。彼らはアーティストを人だと思っていなかった。「アイツら人じゃないよ。ただの頭のオカシイやつらでしょ」と、彼らにとってはアーティストは奇人に見えているのだ。業界で働く人らの中にはアーティストをリスペクトしていない人もいる。彼らは会社勤めをしているだけで、音楽カルチャーには興味がなかったり、ビジネスセンスに欠けている人もいる。

そういう意味では、『売れる』音楽を作るよりも『いい』音楽をリリースしようとしているうちのレーベルはちゃんと音楽やっていたのかもしれない。

 

 

しかし、それにしても効率が悪すぎた。

でも、そこでは普通のことだったのかもしれない。私は長くコンテンツ業にいすぎたのだ。携帯の世界では1000のダウンロードがあっても、それは売れていないものと考えられて切り捨てられる。わざわざ1000人のために手間をかけることはないのだ。これはこれで間違っているのだけど、関東、関西飛び回ってやっとアルバム1枚が売れるかもしれないというのは、私にはとんでもなく効率が悪いように思えた。それでも、うちの社長は音楽配信には反対だったようで、私にもその気持ちはわからないでもなかった。

 

 

そうして何ヶ月か過ぎ、私は大阪方面に行き何店舗かを回った後、京都へと向かった。京都にも営業するお店があったのだ。けれども、私は担当者に電話をする代わりに嵐山行きの電車に乗った。

朝から古寺を訪ね、狩野派の天井絵を見上げ、苔生した竹林を歩いたりして、渡月橋のほとりで1日をぼぅっと過ごした。私はすべてが嫌になり、すべてを投げ出したのだ。

 

私は私の人生が心底嫌になったのだ。

今日1日、自分がやりたいことをやりたいようにやろうと思った。そう思って嵐山に来たのだった。

 

 

 

 

日が暮れる頃になって、桂川の流れを見続けていた私は悟った。

 

「人は他にやらなければならないことを抱えたまま、自分のやりたいことをやりたいようにはできない」

 

そう、本来私は京都まで営業に来ている身であった。

私は立ちあがって東京に帰ることにした。もうあのレーベルには帰らない。数日間、鳴り続ける電話を無視して、数日後に事務所の鍵に謝りの手紙をつけて郵送した。

 

 

 

それからの私は家にこもり続けた。私は私だけの仕事を始めたのだ。

ふと、気がつくと3週間が経っていた。しばらくその時間がどうやって過ぎたのか思い出せずにいたのだけど、そういえばデスクの前に座って、壁の時計の針が何周も回るのを見た気がした。一体どうやって生きてたのかよくわからない。

ひとまず何かを終えた気がして、今度はそこから自分の仕事に興味がありそうな人を探し、世界中の知らない人に作ったものを送りつけた。私がひとつ動けばひとつの反応が返ってきた。それは私が思っていたよりも嬉しい反応だった。

そうして次に気がついた時には、半年の月日が経っていたのだった。