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プロニートの履歴書

色んなできごとに翻弄され、プロのニートになるまでの物語

20. 世界一残業のない会社

半年間、無職になって自分の仕事を続けても、もちろんお金は入ってこなかった。とうとう貯金も尽き、私はどこかに働きに出なければならなかった。

エージェントに相談すれば、相変わらずキャリアアップだかスキルアップだかを要求してくる。職場でのスキルアップというよりも、実際私にはもう少し英語が必要になってきていた。自分の方の仕事は外国の人としかやりとりがなかったのだ…。

 

その頃の私は英語は話せたのだけど、ビジネスで使えるほどではなかった。それなら今回は英語が使えて、狭い携帯業界におさらばするために開発(パソコンのですね)の知識も学べる仕事を探すことにした。幸先よくエージェントからも「外資系通信社のプロジェクトアシスタントはいかがですか?」という提案をもらうことになった。

 

面接に行くと英会話力のテストがあり、私の教科書からは程遠い英語に面接官が「その英語はどこで覚えたんですか?」と聞くので、「だいたい旅行で覚えました」と答えた。それは実際そうだったのだ。私の学校嫌いが外国に行ったからといって急に治るわけもなく、学校に通ったのはニューヨークにいた最初の3ヶ月間だけで、あとはテレビか旅行中に身につけたものだった。そのハッタリ英語でも十分だったのか、面接官が旅行好きだったせいもあったのか、私はそこで採用されることになった。

 

 

そこで私がアシストすることになった女性は、びっくりするほどのイギリス英語を話す帰国子女で、日本人でもそこまでイギリス発音になれるんだ…と驚いた。彼女は私の隣に座っているにも関わらず、用件はすべて英語のメールを送ってきて、会話こそ日本語だったけれども、カタカナ語はすべてイギリス発音の英語だったのだ。

しかし、どうやら彼女はそれが自慢だったらしく、電話での会話を聞いていると、別の国の支社の人と英語で話すたびに、”オーーーホッホッホ、みなさんそうおっしゃられるのよ。私がイギリス人なんじゃないかって。子供の頃イギリスで過ごしただけですわ”と、どの電話でもやっているのだ。この台詞は電話を受けるたびに何度も繰り返され、私はそれを真似できるほどになっていった。

きっとこういうのはイギリスでは嫌われるだろうな・・・、と私は心の中でひそかに思った。生粋のイギリス人はイギリス人以外がクイーンズイングリッシュを話すことを嫌がる。これは私が日本に住んでいる外国人に綺麗な日本語で「ご了承頂けますか?」と言われて居心地の悪さを感じるのと似ているのかもしれない。

 

 

しかし、この会社の人たちはメールリストに日本人しかいないのに、メールも英語で送ってくる人たちでもあった。とくにそういった会社規定はなかったのだけど、チームの文化だったのだろうか。Oh! That's great! という返事をもらっても、受け取るのは日本人だけなのだ。そして、その語法はチームにひとりだけいたオーストラリア人のメールの文章によく似ていた。チームメイトは彼の英語から学び、その英語の文体の癖がそのまま反映されているのだった。ひょっとしたら、ここの人たちも私と同じように英語の勉強をしに来ていたのかもしれない…。

ニューヨークに住んでいた頃、日本人同士で英語がどれぐらいできるのかを競い合うことがあった。『私は英語できるのよアピール』をするのは、英語を勉強をはじめて最初の1年ぐらいは誰しも経験することでもあった。多分、人の学習心理としてそうなってしまうのだと思う。そして、この職場もそうだったのだ。やれやれ、である。

 

(あぁ、私はひとつだけ言いたい。英語を話せるのも話せないのもなんら変わりない。できるからすごいということもなければ、できないのがダメってこともない。それはペラペラした紙のテストで○×を付けられる時だけの話だ。英語は方言と同じで、方言を話す人と話していると勝手にその方言が感染る、そういう感じのものなのだ)

 

 

それでもそこは面白い環境でもあった。その無駄に英語メールですべての会話を行っているせいか、とーーーっても静かな職場だったのだ。というよりも、私語がまったくないのである。始業時間から就業時間までひとつも会話がないのだ。総勢200人のフロアには、障害者雇用の人が聞く速読の何語かもわからないほど早口の日本語のレポートが響くだけだったのだ。

 

1日中、シーーーーーーーーーーンとした(+超早口の宇宙語だけが聞こえる)環境で働いた経験をお持ちだろうか?

 

私ははじめてだったし、この後も見たことも聞いたこともない。

そして、ここは由緒正しい外資系だったので残業もなかった。誰もが就業規定を守り、5時ぴったりになると99%の人が席を立って1分後にはガランとした空洞に変わるのだった。社員は絶対に有給を消化しなくてはならず、週に1度程度の有給休暇を使い、文字通りライフバランスが守られているのだった。

仕事の相手も国外なので誰も文句は言わない。締め切りがあっても「あ、今日終わらなかったから明日やろう」で帰ってしまうし、担当者が1週間休暇中なら、「それなら仕方ないわね」となる。仮に裁判官が休暇中なら裁判の公判すらも延期される。
彼らはどんなに自分ペースで仕事をやっていたとしても、大きなプロジェクトになると最後の数日でビシっと終わらせるところは本当にすごい。え?いつやったの?と思うぐらい素早い。つまり要領がいいのだ。そしてそれでいいのだと思う。なぜって、それで世界で業界2位の企業なのだから。

 

そうしてある日突然、世界2位の会社は世界で最も大きい企業に吸収合併された。

私が働くことになる会社は倒産したり、上場したり、世界の吸収合併が起こったりと、何でも起きるようだった。
そして、合併して世界一大きな通信社となった企業は方針が変わり、産休していた社員を復活させ、私の産休代理の職は幕を閉じた。

 

なんだかすごい世界を見たなぁ…という気持ちは今もぬぐえない。

それに、その短い期間であっても、私がその後の世を渡っていくには、その企業名は私の履歴書を飾るには十分だったのだ。