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プロニートの履歴書

色んなできごとに翻弄され、プロのニートになるまでの物語

21. 週に10分だけの仕事

さて、また派遣エージェントに行くことになった私の職歴には、目立つ会社名がひとつ増えていた。私は自分がうまく世間で生きていけないことを知っていたので、会社名が大きなものを見つけることにしていた。そうすれば、業務内容はともかく、エージェントも企業もなんとなく私のことがわかったかのように安心するのだった。

 

しかし、本当のところを言えば、私にはそんなに社会的に役立つ技術も知識もなかったのだ。

それでもエージェントの人は優秀だった。私のカタカナだらけの職務経歴書を見て、「空野さんはひょっとしてパソコンがすごく使える人ではないですか?」と聞くのだった。カタカナの威力はすごい。そのカタカナが何を意味するのかわからない人にとっては、何かすごいことをやっているように見えるようだった。

そこでエージェントが提案してきたのは、社内SEという企業内のパソコンのトラブルを解決するデスクの仕事だった。その仕事のことは見当もつかなかったけれど、多分、自分にもできるだろうな、と思った。これはなんとなくというよりも、ちょっとだけ早くパソコンを使い始めた人が図らずともITに流れ着くように、私もITの世界に漂流してしまったのだ。

面接では私と同じようにギーク(パソコンオタク)な人がギーク語を話していた。それまでの面接ではその会話についていける人がいなかったらしく、まともに会話が成り立っていた私はエージェントの人と部長を驚かせ、よくわからないまま採用となった。

 

 

 

その会社は都心のど真ん中にあった。私にはその業務内容が難しすぎてわからなかったのだけど、どうやら不動産系の会社だったらしい。建物付きの土地を買って、価値を上げてどこかに売る、というようなことを言っていた。そして、その一帯の土地はその会社のものだった。社内は2/3の人は都市銀行から引き抜かれてきた人達で、40代は若手と呼ばれ、上は監査の70代までいたのだ。なので、パソコンのトラブルといっても、「文字を平仮名で入力したいんですけど、どこを押せば…」という程度のものがほとんどだった。

どうして私がそこに雇われたのかというと、ヘルプデスクは女の仕事、という課長の独断と偏見があったからだ。プラス、この会社でも上場を控えていて(またかって感じなのですが)、業務の効率化にIT事業部を拡大して、仕事を共有する必要があったのだ。しかし、そこは昔ながらの銀行出身者が集まる古い体質の企業だったので、若手に仕事は任せられん!とばかりに、50代の部長クラスだけが死ぬほど忙しく、40代以下には仕事は与えられず、日がなやることもなくインターネットを見るしかないのだった。

 

私と課長のふたりだけだったIT事業部もヒマでヒマで、課長は私に「このサイトを見ておくように」と、ITの知識の詰まったサイトをいくつかよこしてきた。私はそのサイトの隅から隅までを読みつくし、ほどなく1ヶ月が過ぎた。そうして、2ヶ月目も3ヶ月目も過ぎていった。仕事をしようにも、誰もそんなにパソコントラブルを抱えていないのだった。たまに監査のご老人方にパソコン教室的なサポートをするだけで、私はこれでいいのかな…と考えるようになった。

 

 

そうして仕事がない代わりに、私はインターネットの質問サイトでパソコンで困っている人の投稿を見つけては回答を書くという独自の仕事を編み出した。これは最初の頃、間違いだらけの回答をしていたのだけど、段々と私にも役立つ回答が書けるようになってきたのである。これは会社の仕事ではない。私が趣味的にひとりでヘルプデスクの仕事をやっている風なスタイルだったのだ。

 

私の会社での仕事は1週間に10分もなかった。

本当にヒマという地獄があるのなら、ああいうことをいうのだと思う。それで給料はもらえるのだから、ある意味天国とも言える。ただ、人としてこういう働き方はとてもつらい。

そうして私は仕事を休みがちになった。私がここに必要なのは週に10分なのだ。というよりも、この会社の中では20代、30代は全員が社内ニートだったのだ。

しかし、派遣元は私の不真面目な勤怠を見て理由を問いただすのだけど、内情を漏らすようで「ヒマすぎて死にそうです…」とは言えず、体調がむにゃむにゃ…と何とも答えられずにいた。

 

そうして私は派遣元から契約期間満了を言い渡された。とても当たり前の判断だと思う。

最後には派遣元と私と部長の女性が呼ばれ、派遣元から謝りの言葉が述べられた。「トンデモない人を送り込んですみません。契約期間を終了します」と。

お母さんのような部長はあっけらかんとして、「いいえ、とんでもない。空野さんはみんなと気も合っていたし、うちの会社にも合ってる人だと思ってたんですよ。こうなってしまって残念です」と言ったのだった。

そして、それは本当にそうだったのだ。よくある「アットホームな雰囲気の企業です」という求人広告のように、そこは本当にアットホームな会社で、部長クラスはお父さんお母さん、若手の課長はお兄さん、私たちのような派遣社員は子ども達、監査はおじいちゃんというように、40名ほどで家庭的な雰囲気を持った平和な会社だったのだ。

 

帰り道を歩きながら、派遣元の営業は私に「どうしてあれを早く言わなかったんですか!」とたたみかけた。 言うも言わないも…、実際にそこで働いている人と、営業で接している人の見方はちょっとだけ違うのだ、とは、もちろん言わかなった。多分、本来ならば、派遣元と関係を密に保つべきなのかもしれないのだけど、毎日会う人と、たまに契約のことしか話さない営業とでは密度が違いすぎた。

ヒマすぎることがつらかったけど、そこは私にちょうどいい会社だったのだ。 

 

しばらく連絡を取り合っていた課長からは、その1ヶ月後に衝撃の事実を知らされることになる。上場を控えていた会社は上場を取りやめることになり、会社も1/3まで縮小され、課長もそこを辞めることになったというのだ。

原因はサブプライムだった。不動産の会社だったので、もろにその煽りを受けてしまったらしい。

 

いつどこにいても、次に何が起こるかはわからないものだな、と私は思った。